2012年4月6日金曜日
泣くのではなく感謝を レオノラ・E・リー
シェクスピアことばに「最上のものを見れば、それを愛さざるを得ない」というのがございます。同様に私どもも、最高のものに向かって奮闘されました偉大なかたを愛さざるを得ないのであります。
私ごとながら、英国でいろいろの学校の子供たちに、八代主教様について語る機械を与えられるごとに二つのことを語ってまいりました。
第一に八代主教様が何か困難なことに出会われたとき、主教様はそれに挑戦することを喜ばれ、腕まくりをして「よしっ」と言われたことであります。こうして主教様は困難なことに立ち向かっていかれました。
第二にいろいろな苦しみや、悩みを持って主教様のところにこられた人に、主教様は手を差し伸べて「よしよし」といわれたことであります。こうして愛の深い暖かみをもって人々を助けてこられました。ですから、どなたでも、もっとも勇気のある、もっとも高い愛に触れましたときに、主教様を愛さざるを得なかったのです。
八代主教様は実に祈りのおかたでありました。
かって、主教様が私をお怒りになられたことがありました。そのあとで「さあ祈ろう」とおっしゃいました。そこで、私どもはひざまずいて、主教様は私がより良い宣教師になるようにとお祈りくださいました。こうしたことによって、主教様はひとりひとりを助けてこられたのでございます。
また、ある時、継母であった八代あい子姉に聖ミカエル学校の校庭でお会いしました時、あい子姉は「リー先生、ちょっと誰かに知ってもらわなければなりません」とおっしゃって、お話なさいました。
ある真夜中、手洗いに行こうとしたあい子姉は、八代主教様が机の前に坐って、祈り、泣き、時にはうめいておられるのを見られたのです。同姉のおっしゃるにはそれは恐ろしいさまだったそうでございます。
私は皆様に主教様の三十三日の病院生活を通じて、次の三つのことをお話したいと思います。
第一に主教様はかって私におっしゃいました。もっとも大切なのは許すことと許されること、これよりたいせつなことはない。
第二に、私の心の中は全き平和だとおっしゃったこと。
第三に、そうでありながら、主教様は病院でたびたび大声を上げて泣かれたことです。人々が主教様を見舞ったときに泣きましたが、これは又、主教様を泣かせることになりました。
主教様は泣いて私におっしゃいました。「あの男は魂のかわきで苦しんでいるんだ」。主教様が泣かれたのはその人を助けたい熱情からでございました。
また、いろいろな委員会や、会合に出られたかたがたに会われたとき、よく泣かれました。
私に書かせられた最後のメッセージ、それは世界中のすべての人にあてられたものでした。その中にはすべての司祭、すべての主教達に語ってほしいこととして、すべての魂をイエス・キリストのもとに導くこと、又、あらゆる教会の会議、集会、いろいろなスローガン、宣言などは教会を世俗の世界の中に引きもどして行くに過ぎない、こういうことはすべてむなしい、役に立たない、すべての人に、はじめの愛に帰ることを、そして、すべての魂をキリストのもとに立ち帰るよう告げてほしいとありました。
八代主教様は、肉体的にはごく普通の人のようにおなくなりになりました。しかし霊的には普通の人のようにおなくなりになったのではありません。主教様は病院につきそう医師や看護婦さんに驚異を与えました。主教様が私たちに示されましたことは、クリスチャンとしていかに生きるかということだけでなしに、いかに死するかということでもありました。
私達は、いま取り残されました。 しかし、私達の心の中には、主教様のまかれた種があります。世界にまかれた福音の種があります。おのおの、心を合わせて、この種を育てなければなりません。
神様のみことばは、学校や教会や幼稚園や、そのほか多くの場所で働く人々の心の中に植え付けられました。それを完全な実りにまで育てたいものでございます。
泣くのではなく、感謝をしたいのです。
勇気を持って、いろいろな困難に立ち向かいたいのです。
愛をもって、多くの人々を助けましょう。
私達の毎日の生きかたに、話しかた、あるいは行いによって、数々の魂をキリスト様のもとに導きましょう。
私は長い年月、八代主教様の生活に触れる特権を与えられてまいりました。私はこれらのことの承認でございます。かって主教様は私に、「世界中の全ての人に私のことを話してほしい」とおっしゃいました。
私は又、日本聖公会がこの偉大な損失と悲しみから、それにもまして、勇気と愛とをもって、私どもの隣人と全人類を改宗するために立ち向かっていくことを、この眼で見ることが与えられましたことを、何よりの特権とも、喜びとも思うものです。
聖ミカエル国際学校長・故人 (神のおとずれ 二十一巻特別号より)--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
記 ミス・リーは英国人宣教師でした。 第二次世界大戦が始まったとき、日本在住の欧米人は本国に帰還しましたが、ミス・リーは英国とカナダの両国籍を保持していたために どちらの船にも乗れないまま日本に残ってしまったのです。 日本人にさえ食料の不足に苦しむ時代、ミス・リーの戦時中の不安と恐怖は計り知れません。 父は北野町にあるミス・リーの家まで食料を運びました。 途中、非国民とののしられレンガをぶつけられて血だらけになってたどり着いたという話を私達はしばしばミス・リーから聞かされました。
父とミス・リーが示したクリスチャンフェローシップは「霊友」というものが真実存在しうることを教えてくれまし
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